2012年02月28日

【シンクロ】日本の“秘密兵器”は目盛り水着

 “秘密兵器”でお家芸復活! ロンドン五輪の世界最終予選(4月18−22日、ロンドン)で出場権獲得を目指すシンクロナイズドスイミングの日本代表が27日、都内で合宿を公開。水面から飛び出す高さ不足を克服する狙いで「ボーダー水着」を開発し、練習で着用を開始した。
シンクロナイズドスイミング日本代表.jpg
 “秘密兵器”はベージュ、緑、赤、黄、黒の5色が約10センチ幅で配置された一見レトロな練習用水着。考案者である日本水連の本間三和子シンクロ委員長(51)=旧姓元好、1984年ロサンゼルス五輪ソロ、デュエット銅メダリスト=は「どこまで高さが出ているのか、選手もコーチも確認しやすい」と説明した。

 高得点のためには水面から体を高く出すことが重要。逆立ちで脚を上に突き出すときは赤まで、立ち泳ぎでは緑の部分まで水面上に出すことが求められる。日本が苦手の“高さ”を克服するために考え出されたのが「ボーダー水着」で、女子水球オランダ代表の練習着をヒントに本間委員長やコーチがデザインした。

 実用性重視のデザインに酒井麻里子(21)=東京シンクロク=は「最初はビックリした」というが、「この場面でここまで上げる、というのがわかりやすい」と納得の表情。水着は生地を2枚重ねて作られており、水を吸うと重くなるためパワーアップ効果もある。

 「死に物狂いで出場権を確保したい」と本間委員長。出場を逃した時点で、五輪競技に採用されたロサンゼルス大会から続く日本のメダルは途絶えてしまう。
ラベル:シンクロ
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2012年02月26日

【近代五種】山中詩乃 競技歴1年半で五輪切符

山中詩乃a.jpg昨年5月のアジア選手権。最終種目の「3000メートル走・射撃」で残り約100メートルに力を振り絞った。1人かわし、トータル6人抜きで5位入賞。
近代五種の競技歴約1年半の山中詩乃(自衛隊)が、日本人女子初の五輪切符をつかんだ瞬間だ。

 国内の女子の競技者は5人程度。山中が競技を始めたのも2009年の自衛隊入隊後だ。陸上の長距離出身。高知・山田高2年時に全国高校駅伝でチームの8位に貢献し、3年では大分国体少年女子A5000メートルで2位に入った。

 「まだ伸びる自信はあったけれど、オリンピックに出られるレベルかと言えば、厳しかった」

 大学にあこがれもあったが、高校が寮生活で両親には経済的に負担をかけた。「准看護師の資格も取れるし、給料ももらえる」。そんな思いで自衛隊への入隊を決めた。

 陸上での実績が、自衛隊体育学校近代五種班の才藤浩日本代表監督の目にとまった。「近代五種なら、五輪に出られるかもしれないぞ」という言葉に心を揺さぶられた。

 中学1年で陸上に転向するまで、水泳の自由形の選手だった。漠然とした夢が「将来、五輪に出ることだった」。近代五種に水泳が含まれたことも有利に働いている。

 まだまだ苦悩の連続だ。フェンシングの剣先が怖くて、頭からよけてしまう癖がなかなか直らない。

 馬術では何度も落馬の恐怖を味わった。一昨年の全日本選手権は危険との理由で、馬術の出場さえできなかった。厩舎(きゅうしゃ)当直を交代でこなすうち、ようやく「馬の機嫌や調子がわかるようになった」。
山中詩乃c.jpg
 「競技歴は短いし、水泳も陸上も、専門の人には全然かなわない。でも、だからこそ伸びしろがある」と五輪までにさらなる成長を目指す。

 インターネットで見つけたロンドン五輪金メダルの画像を携帯電話の待ち受け画面にする。「見るたびにモチベーションが上がる。出るからにはメダルを取りたい」。異例のスピードで駆け上がった五輪の舞台に、21歳の夢の続きがある。 (田中充)

 【プロフィル】山中詩乃(やまなか・しの) 1990年8月3日、高知市生まれ。幼稚園から水泳を習い、中学1年から陸上部に所属。中学3年から4年連続で都道府県対抗駅伝メンバーに選ばれ、全国高校駅伝にも出場した。2009年に自衛隊に入隊し、同年10月から近代五種に挑戦。11年5月のアジア選手権で5位に入り、日本女子初の五輪出場を決めた。158センチ、42キロ。

 【用語解説】近代五種…フェンシング(エペ)水泳(200メートル自由形)馬術(障害飛越)の3種目で得点を争い、4ポイント1秒でタイムに換算。最後の複合(3000メートル走+射撃)で上位順にスタートして順位を競う。男子は1912年ストックホルム五輪から、女子は2000年シドニー五輪から採用された。

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2012年02月22日

八木かなえ 控えめな美少女リフター いざロンドンへ

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八木かなえ
 愛くるしいルックスからは想像もつかない怪力の持ち主だ。スクワットでは体重のほぼ3倍の151キロを持ち上げる。重量挙げを始めて4年。人気バラエティー番組からも白羽の矢を立てられた「美少女リフター」はロンドン五輪が視界に入る高みにまでやってきた。

 中学までは体操に没頭。全日本ジュニア選手権の2部で個人総合7位、種目別跳馬で3位に入った。本人いわく「たまたま」ながら、北京五輪代表の新竹優子(羽衣国際大)に一度だけ勝ったこともある。

 畑違いの競技に出合ったのは中学3年の冬。兵庫・須磨友が丘高のオープンハイスクールで練習を見学し、迫力に圧倒された。「体操はやり切った感があった。高校では違う競技をやってみたかった」。入学後、全日本女子の監督も務めた横山信仁氏が指導する強豪の門をたたいた。

 これまでの歩みは順調だ。競技歴8カ月でアジアユース選手権を制し、全国高校選手権は48キロ級と53キロ級で3連覇。金沢学院大コーチに就任した恩師に引き続いて指導を仰ぎ、三宅宏実(いちご)が長らく保持していた53キロ級の高校、大学、ジュニア記録(いずれもトータル)をことごとく塗り替えた。
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 「三宅さんが出した記録があったからこそ、それに向かって頑張ることができた。感謝しています」。トータル207キロの日本記録を持つ第一人者の背中を、今も変わらず追い続ける。

 すでにロンドン五輪代表に内定済みの三宅は、48キロ級か53キロ級のどちらで出場するかまだ結論を出していない。それもあるからだろう。「狙っているのはリオデジャネイロ五輪。今は目標の重量を挙げる方を優先しています」。今夏に迫った大舞台について、19歳は慎重な姿勢を崩さない。
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 残り2つの切符を争う4月の全日本選手権(北九州市)では、トータル200キロを目指す。「五輪に出られる出られないにかかわらず、自己ベストを出したい」。全日本の結果と三宅の動向によっては前倒しでの五輪が見えてくる。






 やぎ・かなえ 1992年7月16日、神戸市出身。5歳で器械体操を始め、中学時代に全日本ジュニア選手権(2部)個人総合で7位入賞。兵庫・須磨友が丘高で重量挙げに転向し、昨春、強豪の金沢学院大に進学。152センチ。自己記録はトータル195キロ、スナッチ85キロ、ジャーク111キロ。



ラベル:八木かなえ
posted by くりおね at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 重量挙げ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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